にしもの筆記帳

永藤呉服店店主 筆記帳かわりにつかってます。

およびでない。

ここ最近出張講座の予定が、

ことごとくお流れになってしまって、

嫌われてる被害妄想が全開の今日この頃。

 

これね。ほんとに被害妄想なんだよね。

実際、お客さんがお店に来ないとか、イベントがお流れになるとか、ほぼ自分のせいではないんだよね。お店やってるとお客さんとの距離が近づいて「仲間」って思っちゃうんだけど、思ってるよりはドライなもんで、たとえもし自分を仲間外れにしようとする力が働いていたとしても、そんな人の力が働いていただけで、自分のせいではないんだよ、たまたまお呼びがかからなかっただけ、遠くて遠慮されただけ、利益が出ないと申し訳ないからとか、気候、体調、etc。。。

でも、相手に遠慮されている状況というのも、相手が要らない妄想を働かせてくれているという事なので、こっちも被害妄想働かせてしまうのもしょーがない。世の中の人付き合いというものは、得てしてこういう必要のない妄想や遠慮でできあがっているものなので致し方ないんだろうな。


要するに今日は干されて暇なのさ。

騒ぐだけが戦いじゃない。

久しぶりにとある同業者さんのサイトをのぞいたら、
今自分が悩んで考えてる事に対する一つのアンサーを実践なさっていた。

簡単に言えば、


ストレート、ジャブ、アッパーを使わずに試合を続ける事を決めた様子。
ルール無用の悪魔超人たち相手に試合を続ける方法としての一つの戦法(逃げるではない)にシフトチェンジした様子。

あ、全然簡単じゃないや。でも、わかりにくいけどそんな感じ。

僕たちの稼業には、色んな人がいて、キラキラしてる人、戦い続ける人、新しい事をする人、昔からのやり方を続ける人、もちろん戦いの舞台から降りる方も多くいます。その中で自分とお客さんを同時に守ることのできる戦い方というのはそんなに多くない。ましてや年々減少していく生産者さんの事も心配しながらなんてまず不可能。しかも迫りくるのはルール無用の悪魔超人。

そんな、ギラギラした競争祭りの中で、騒がず丁寧に生きていこうと、とある決断をなされた、遠く会った事のない同業者を思うと、今夜は少しだけお酒が多くなります。


実は夫婦で店を回しはじめた頃、同時期に同年代らしき夫婦でやってる様子でちょくちょく気になっていました。多分ここに書いたことであちらの方が気づくことは無いとは思いますが。。。心の中でそっとリスペクトしてます。

夏はうずうずする。

今週の連休は、遊ぶことにした。

 


一時は本気で店に立っている時間が長ければ長いほど勤勉だと思っていたし、そうでなければ不真面目な店として、誰からも相手にされなくなるという恐怖心でいっぱいだった。田舎の小さな店なので一日中来客がない日も少なくはない、そんな中で「毎日勤勉にがんばっているから来客がある、だから休みをとったらいけない」って信じてた。

 

でも、本当はそうじゃないかもしれないと思いはじめてる。

お客が来るのは見たい商品があるからで、私が勤勉な姿をしているからではない。
お客が買い物をするのは、欲しい商品があるからで、私が毎日店番しているからではない。

お客と商品をマッチングさせるために、私が店にいるのだ。

お客が来ないのは見たいものがないだけで、私が嫌いなんじゃない。

お客が買わないのは欲しいものがないだけで、私が否定されてるんじゃない。

 

と、ステキライフスタイル的なことを思ってみたけど、たぶん半分ぐらい虚勢で、
着物が文化が業界がとしかめっ面してるよりも、むしろいろいろ楽しいことがあって私が機嫌よくしているとお客もなんか知らんけど喜んでくれて、いいマッチングが出来るんじゃないかなと。そのほうが楽だし。

 

私は2児の父親であるいい年の大人なんだからちゃんとしないといけない思ってる。

だから、ちゃんと休んでちゃんと遊ぼうと思う。
いい年の大人なんだから、ちょっと無理して遊んでみたらいいかなぁと思うのです。

年齢を重ねる事は経験を重ねるのとはちょっと違う。

新しい事を探す若者を腐す年寄りと、
なんでも昔のやり方を老害と言ってしまう若者は、
同じ精神構造だよ、激しい事言って自分を見てほしいの。

知識見識が豊富な先達者には若者が集まるし、
見込みのある若者には先達者が何かと世話を焼いてくれるんやで。
その輪に入れないから拗ねてんの。


若者は旧態依然を避けたがるものだ、これは本能と言うか、社会的な反抗期ってやつで、とりあえず過去の否定から入るんよね、「若さゆえの過ち」ってやつ、認めたくないけど。

でもそのうち、旧態依然の中から効率的なものを探して身につけていくよね、それを経験を重ねると言うんだけど、たまにその反抗期を直さない人だったり、美意識とかに囚われ過ぎて、人からの教えも受けずに自分の頭ん中ワールドで無双していると色々こじらして、年寄りの事を「老害」と名付けちゃう。

さらに、こじらせて、年齢を重ねると、自分無双に限界がきて、キラキラ輝いてる若者に目がいくと、でる、でるよ、例のアレが

「最近の若いモンは。。。」

でたー!でーたー!でたよー!お母さんっ!今夜はホームランだ!

 

生きている限り年齢は増えて行くのはしかたないけれど、経験を重ねないで年齢を重ねるとおおむねこう成りやすいので注意。俺。

 

ほったらかしのブログはこちらになります。

もう、年に数回しか更新しないクソブログなのですが、たまに思い出してはほったらかしで、なにやらはてなの仕様が変わったらしくダイアリーからブログへ移行させたので、使い勝手がどんなものかやって見る事に。

このさい過去ログなんかも、全部消してやれとかおもったんのですが、残しておこう。恥ずかしいから。どうせ次に更新するのは夏頃なのだから。

 

 んで、自分のログざっくり読み返してみたんだけど「コイツ成長が無い」が感想でした。ずっと同じような事考えて言ってんの、アホじゃないかと思うぐらい、こんなの人に読ませて着物の振興になるかっての、着物関連で有名なブロガーさんいっぱいいるのでソッチ行ってって感じですね。でも残しておくよ恥ずかしいから。

 

 

生きる色と生かす色

 基本的に着物は通し柄で構成されているので(訪問着などは裾柄)洋服を選ぶ時より柄や色が表にググッと主張してきます。なので、Tシャツを選ぶ感覚だと自分の予想と違う雰囲気になる事が多い、格子柄(チェック)でも着物になると上から下までチェックになっちゃうので洋服で着れていても着物なら似合わないって事がよくあります。それが「着物って色柄合わせが難しい」の原因になる事が多い。

  • 色について軽いまとめ

個人的考察では、
『自分の着物姿が生きる色』と『着物を自分が生かせる色』があると思ってます。
これ同じ意味じゃんと思うかもしれませんがちょっと違います。
普段着とイベント着の比重の違いと考えても、いいかもしれません。

  • 生きる色

似合ってる、顔映りがいいとか、キャラが立ってると言われる色の事。気兼ねなく着れる色、
点数で言うと80点が常に出る状態、
トレードカラーとかパーソナルカラーとかもこれの仲間に入ると思います。
【自分らしい色】の事ね。普段着の比重が多いもの。

  • 生かす色

その場に応じた色、普段着はできないけど特定の条件、場所ならクリティカルヒットが出る色の事。点数で言うと条件付きで120点が出る状態。テーマを持たせたコーディネート。クリスマスコーデとかマリンコーデとか、テクニック的に言えば暗い茶室でほんのり明るめの色を着て陰影を浮き出させるとか、突き詰めていけば舞台衣装とかもそうね。【その場に合わせる色】の事ね。でもこれはいつも使える技じゃないから普段着向きじゃなくてイベント着の比重が大きくなる。

  • んでどっちが良いん?

A.どっちも正解。

職業的に着物着てる人は普段着の比重が大きくなるし、着物を着る事がイベント的要素を大きく含むならイベント着の比重が大きくなると思ってます。例えば普通の生活に着物を取り入れる人と、習い事の時のみ着物の人、では比重が違います。用途の違いだけ。


書道の先生が普段着る着物は墨がついても分かりにくい黒っぽい着物を着る、普段着の比重が多い。でも、その先生が表彰される時に普段着ない淡い色の訪問着を着るのはイベントの比重が多い。どっちも正解。


現在の衣類は、他人に自己を紹介するツールなので、普段着ベースでもイベント着ベースでもその人らしさが分かってもらえれば良いわけで。。。等々。。。そいつが難しい所でもあり楽しい所でもあるんだけど。。。ウンヌンカンヌン。。。

色々まとめてたら長くなったので。もうしらん。

最近読んだ

太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

作者、森見登美彦


これ最高。軽くまとめると【リア充爆発しろ】

2006年発行だから自分は8年も損をしていた。
なんで今までコレを読んでいなかったのか、かなり話題に上っていたハズなんだろうけど、まったく自分センサーに引っかかってなかった己をぶん殴ってやりたい。機械は殴ると直る派。


既婚者の私が読んでももう二度と戻らない。むさ苦しく、男汁臭く、情けなく、誇り高い青年の青春疾走感を感じられるファンタジックアドベンチャー。「クリスマスファシズムリア充爆発しろ、男汁、ジョニー、ええじゃないか」あたりの単語が気になった人はぜひ一読をオススメします。