にしもの筆記帳

永藤呉服店店主 筆記帳かわりにつかってます。

つまりはそういう事。

ひまになるとここへもどってくるんだなぁ。

タブレットとかスマホとかでインプットは多いんだけど、
最近はPCの前へ座る事が少ないからアウトプットしてないなぁ。

すばらしい事ながら、子供がいると必然的に規則正しい生活をしてしまうもので、思考思案の時間がなくなってしまう。私のひねくれた思考は、ほどよい酒気と多分な寝不足の中から紡ぎ出されるもので、仕事中、家庭に帰っても監視されている環境においては、なにも創作的な事も出来ず、おまけに小鳥のような私の頭脳は思考トレーニングを欠かすとものの数日でパープリンになり果ててしまうのだ。

おぉ、なんという監視社会だ!国民総番号制度なぞ怖くねぇぞ。「おとーさんどこいくん?」に比べたら屁でもねぇやぃ。

唯一の逃げ場である寝室には、古いアナログテレビとPS2しかなく、懐ゲーを掘り出しては夜な夜な攻略する日々である。また中古PS2ソフトを探しに行かないとなー。安上がりだからいいんだけど。

ルールを守る者はルールに守られる

  • 着物にまつわるルールは守るべき

まずは、普段着はなにを着てもいい。
アナタが部屋で着物を着る時、街へ買い物に行く時などは好きに着たらいいんです。裸じゃなけりゃ。

しかし、礼装とお茶など習い事は必ずルールを守るべきです。
固いことをいうかもしれませんが、礼装を必要とされる場所、状況というのは個人的な事情よりその場にある規則を絶対に遵守するべきだからです。ホストがありそのホストが設定したルールに従うのが当然です。そこら辺はスポーツと同じです。サッカーでキーパー以外手を使わないのと同じ、野球で相手選手を殴ったらいけないのと同じ。その場で守るべきルールだから守って下さい。

  • ルールは誰が作る

これが一番問題です。
漠然と全国統一ルールがありそれを皆が守っていると思いがちですが、実は礼装が必要とされている状況と言うのは、その状況を作り出している一種のゲームマスターがいます。本当はその人がその場のルールを設定しないといけない訳です。

例えば結婚式。
新郎新婦とその両親がホスト(もてなす側)でこの式のゲームマスターな訳です。
だから出席者は何を着て行くべきなのかを聞けばいいんです。

中には洋風コンセプトで結婚式をするので完全和装NGと指定する方もいらっしゃいます。
ホストがそう設定しているので、それに従い無理やり和装で出席する事は控えた方がいいです。

ただし、そこら辺の事が非常に分かりにくくなっているのが、世の常なんですけどね。
ホスト側も良く分からないから一応それっぽい【全国和装統一ルール(笑)】を引っ張りだしてそれを参考にするわけです。
(まぁこの【全国和装統一ルール(笑)】にも色々問題はあるわけですけど・・・)

  • ルールを守る人はルールに守られる

どうであれ、ゲームマスター側のルールに従っていればルール範囲内での事は「失礼、無礼」にならないという事になります。

日本人の悪い癖で暗黙の了解という事が多いですが、分からない事があれば分かる人に聞いたらいいんです。コミュニケーション不足を棚に上げてあーでないこーでないと考えている暇があればホスト側に「○○な格好で行こうと思っているけどいい?」と聞いてみたらどうでしょうか?

※これ以外にも【地方ルール、家柄ルール】などローカルルールが自然と設定してある事があるので、やはり主催側にちゃんと確認した方が後々面倒が起こりにくいですね。

仕立てる1

  • まず、着物を手に入れる方法を考えてみて。

1・古着を手に入れる。
2・仕立て上がりの着物を手に入れる。
3・反物を手に入れて仕立てる。
と、大雑把にいえば3通りあると思うんですけど。
まず1に関しては以前の持ち主が2または3の方法で手に入れたものを古着屋で買うなり知り合いから貰うなりして手に入れます。勿論その以前の持ち主と体形体格性別などが合えばそのまま着れます。着て下さい、さっさと着て出かけて下さい。それでOK。

次に2。主に仕立ててある着物。大体プレタとか首つりなど呼ばれてる商品になります。大体サイズはM・Lのサイズ展開をしてる事が多いですね。まぁこれもサイズが最初から決まってますから、体形体格性別など合えばそのまま着る事が可能です。さぁさぁ着て下さい。帯は何色が良いでしょうかね。今日は着物おでかけ日和ですよ。着ましょう。

んで最後に3おしたて。ウン十年でも着物生活をしていて、実は仕立てを頼んだ事がないって方が少なくないんですな。元々1も2も布から出来ているので一度は反物と呼ばれる状態からつくられることになります。(たとえ洋服生地でもメートル幅の反物ではあります)。
当たり前のことですけど、この反物を縫製する事によって着物になります。必要な布の量さえあれば着物だけじゃなく羽織にもなりますし長襦袢にすることもできます。もちろんTシャツにもなります。

  • 仕立てるのは誰がする

これは簡単2つしかありません自分で縫う他人に縫ってもらうのどちらかです。
自分で縫えますか?と聞かれれば私は「めんどくさいけど何とかなります」と答えます。実際浴衣と襦袢ぐらいは私でも仕立てられます(ひでー出来ですけど)本屋などに行けば和裁(着物など和服を縫う)本は大体おいてあります。他にも和裁教室など和裁を教えてくれる場所もあるので時間と集中力さえあれば自力でなんとかなります。
「えーむりー時間もないしー」という方には他人に縫ってもらうしかありません。お気に入りの反物は蔵に寝かせておいても着物にはなりません、もちろんアナタが鶴を助けていれば夜中にやってきて着物を縫ってくれるかもしれませんが、たぶん来ません。絶対来ません。もちろん妖精も来てくれやしません。なので誰か和裁のスキルがある人に縫ってもらうしかない訳です。

  • 仕立てを誰に頼む?

その昔はお母さん、おばあちゃん、嫁さんなどが和裁のスキルがあり家で仕立てるということがあった時代でも本職つまりプロの和裁士がいました。もちろん現在でもその数は少なくなりましたが和裁士さんは存在します。その方にお願いするのです、もちろんそれなりの対価を支払ったうえです。

ちょっと愚痴になりますが「チャチャチャと縫ってよ」と和裁士さんへ言う方がいますがプロの仕事にサンバもジルバもチャチャチャもありません、マジ縫いです、マジで縫うから和裁士と「士」がつくんです。かあちゃんに雑巾縫ってもらうんじゃないんですからプロの仕事を頼んで下さい。

で、その和裁士さんの居場所ですが和裁士としてブログやってたり教室を開いていたりします。そこへ連絡を取ってお願いしましょう。他には着物屋おかかえといって呉服屋、着物屋と契約を結んで魔法少女 和裁士をしている方がいます。その方に頼むには着物屋を通してお願いする事になります。(そこらへんの仕組みは気が向いたら)

まず和裁にもある程度、知識のある着物屋を選んだほうがいいです。パートのおばちゃんばかりの店ではプレタ寸法みたいにされてしまいます。せっかくお金払って仕立ててもらうんですからめっちゃくちゃワガママ言いましょう。言っちゃいましょう。遠慮することはないです。それが着物屋や和裁士さんの仕事なんですから、でも物理的に無理な事は無理っていいます、その時は代案を出してきますのでしっかり打ち合わせしましょう。その着物を着るのはアナタなんですから納得いくまで話し合いましょう。わからない事はちゃんと聞いた方がいいです、それをウヤムヤにする着物屋さんはちょっと怪しいかもしれません。どんどん突っ込んでみましょう。

着物屋は着物を着るアナタの為の道具です、道具は手になじむまでしっかり使うのが大事です。
(今日の一番いい発言これ)




柄出しパターンの実例



で、色々うちあわせをすれば、あとは着物屋と和裁士さんが勝手に色々考えてあーするこーすると考えて縫ってくれます。そりゃそうです、どっちもお金をいただきますからプロの仕事です。これができてない所には近づかない方が良いですよ。あとは通常2〜3週間ほど待てば出来上がります。超特急で2、3日という場合もありますが仕立てる人も人間なのであんまり急かすとミスがでやすくなります。他のお客さんの物もありますしね。なのでゆっくり待って下さい。仕立てに慣れている方だと「この待つ時間が一番楽しい」などMっ気たっぷりの方もいます。

と、大体こんな感じで出来上がった着物が手元に届くわけです。ミスや寸法間違いなどがなければすぐに着れるアナタの着物の出来上がりです。さあ着ましょう。

※店、和裁士さんそれぞれの考え方と金額設定がありますので、○○円なら高い安いなど金額的な事について言及しません。

キモノで昼寝のススメ

私が接客をしている時、特に普段着着物をお求めになられるお客さんによく言う事があります。

「昼寝出来る」

私は結構これにこだわっています。理由は私自身も休日には着物で昼寝をしているから。

いちいち30分ぐらいの仮眠で着替えるのがめんどくさいと言う事もありますが、
着物を着てもリラックスした状態になれると言う事です。

つまり洋服と同じ普通の状態にもってくると言った方が正しいのかもしれません。


よく言われているのですが
「着物を着ると気持ちが引き締まる、凛とした気分になる、背筋が伸びる」
私自身も高価な着物やおろしたての着物を着たりすると、そんな気分になりますが、今お話しているのは【普段着】です。
お気楽な気持ちで普段着を着ているのに背筋が伸びっぱなしでは疲れてしまって次の日には肩甲骨のあたりが筋肉痛になるかもしれません。疲れる為の普段着だと全然楽しくありません。


いきなりですが、たしかドラゴンボールでも同じ様な事が言われていました。

ある強敵と戦う為に修行していた孫悟空はさらなるパワーアップの為に、
常にスーパーサイヤ人の姿で修行することを考えます。
緊張状態と興奮状態が続くスーパーサイヤ人の状態でも、
リラックスし普段と同じ状態にもってくれば、
もっと大きなパワーを引き出せると考えたのです。

(別に普段着物の場合、戦う訳じゃないのでパワーアップもクソもないのですけど)


補足をすれば、ごく自然に普段着着物を着ているという事は、
着物を着ていると言う過度の緊張から解き放たれているという事になります。
気持ちが落ち着けば「ちゃんと着れているか?」「誰かにジロジロ見られていないか?」「着崩れているんじゃいだろうか?」といった着物初心者が陥りがちな不安や精神的プレッシャーからも解放されます。

リラックス状態の利点は気持ちの面だけでなく着姿にも反映されます、プレッシャーから解放されて堂々とした肩肘を張らない肩の位置が落ちた状態の着姿はとてもスマートに着物を着ているように見えます。



  • 昼寝向きの着物

別に昼寝専用の着物をススメている訳ではないのですが、
素材は綿、ポリエステル、ウール、なんでも問題はありません。
生地は少し厚めで寝て起きた後にシワが目立ちにくい物がオススメです。
寝返りの時に普通に着ている時とは違う所に負荷がかかるので、
とにかく丈夫そうな生地を選ぶのがポイントです。


  • ラッコモード

実際寝てみるとして、男性女性ともに邪魔になるのが帯です。
慣れないうちは帯をほどいてしまうのもアリだと思いますが、起きた時にもう一回帯を巻くのがめんどくさい方は、『ラッコモード』に変形してみたらいいと思います。

やりかたは帯を右へ半回転させるだけです。(左回転させると前合わせが崩れます)
お腹の上へ帯の結びがくる形です。
寝ている時は思ったより体温が下がるのですが、
ハラマキ代わりに帯お腹に乗せているとお腹ポカポカで昼寝が捗ります。


寝ている時はなるべく寝返りをしないでラッコモードのままがベスト。

  • 寝て起きたら

30分程、仮眠をしたら元気に起きましょう。
帯をもう一回右回転させて結び目を後ろへ回しましょう。裾のあわせを直して、衿を整えましょう。
もし寝相が悪く、着崩れたら脱いで着直した方がいいかもしれません。めんどくさいかもしれませんが、着直すのも普段着の練習だと思ってリラックスして着直しましょう。

仮眠をとってリラックスしたアナタならきっと上手に着れるはずですよ。








今日何着る? 体感か気温かルールか


*あくまで私の思い込み、体感、季節感で考察しています。
*そこんとこよろしくです。


今朝は少し肌寒くて綿襦袢に綿着物にしたのですが、
洋服だと「そろそろ寒いから長袖かなー」と言っても誰も何も言わないのですが、
着物の場合はいろんな要素があってなかなかコレが判断しにくいものです。
ちょっと軽く考察してみようかなと思います。
今日は普段着着物に限定しておきます。礼装のアレコレついてはまた後日。


  • 全国統一ルール(笑)では9月は単衣。

『カレンダーが9月になれば強制的に単衣を着るべし!!』というルールがあります。ですが守らないからといっても誰もなにも被害をこうむる事はありません。『大体9月になれば涼しくなるから単衣を着た方が無難だよ』ぐらいの意味で設定されているのですが、着物が生活から離れている昨今。他に基準になるものがないので全国統一ルール(笑)に頼る方が多くなりました。ただ今回は普段着着物としての考察なので礼装の基準になっている全国統一ルール(笑)を基準にするのはふさわしくありません。

  • 気温を基準に置いた場合

9月と言っても気温の差があり35℃を超える日ならば8月に引き続き薄物、浴衣が楽です。今日のように23℃前後の日だと綿襦袢に綿着物がベストに近い。私個人的には夏物の透ける素材から目の詰まった単衣に切り替えのタイミングは27℃前後を判断基準に置いています。綿絽などの明らかに透ける素材でないならば薄い綿着物に襦袢でも問題ないと思います。

補足:私個人的には浴衣は浴衣と言う着方があるだけで着物としては薄い綿単衣だと認識しています。この考察も後日。


  • 体感、季節感を基準に置いた場合

やはり9月も半ばを過ぎると、夏場の殺人的な日差しが幾分やわらいできます。これは毎年決まった日に日差しがやわらぐと決まっている訳ではありません。

日陰に入ると風がサーッと抜けるのを感じたり、秋刀魚が美味しく感じたり、燗した日本酒が恋しくなったり、ここら辺はその人の季節感というか感性ですね。何年か着物生活をしていると、その外的要因と気温が変わる時期と着物がしっくり来る時があります。

日本は四季がありそれに合わせて動植物も動いています。人間も天然自然の一部なので、四季に合わせて四季を感じながら着る物を替えていく事もできます。例えば今の時期なら夜コオロギの声が聞こえますよね、コオロギは8月中頃に成虫になり9月10日前後から鳴きます、昔の人は「コオロギがつづれさせ!(縫物をしろ)と鳴くので衣替え」と決めていたという話を聞いた事があります。それに合わせて薄物をしまって目の詰まった単衣を着てみるのもいいと思います。

この場合には、ココをこうしたら良いとかハッキリとは言えないんですが、ファジーと言うか、あいまいと言うか、風流というか、そのなんとも言えない感じを感じる事ができるのは、この四季のある国に生まれた人の特権でしょう。
感じたままに着たい着物を着るのもアリだと思います。

  • んで。結局何着たらいいのか。

なんでもいいです。
9月は季節の変わり目なので着る物の移行期間であると考えていいんじゃないでしょうか。学校の制服でも夏服と冬服どっちでもいい時期ってあったと記憶してますがあれと同じようなものです。

着物って色々決まりがあって、人に聞くとか、教科書的なものを見るとかで、自分で考えず、人とか雑誌とかに教えてもらう癖がついているんじゃないかと思うんです。普段の自分が着る物ぐらいは自分で考えたらいいんじゃないでしょうか?暑けりゃ薄いの着ればいいし寒けりゃ厚いの着ればいいんですよ。

ただ何度も言いますが礼装の場合は違います、礼装を着る場合はその場のルールって物があります、サッカー試合で手を使っちゃいけないのと同じです。ただサッカーの試合をしてない時にサッカーボールを手で持っちゃいけない事はありません、サッカーボールでバスケやってもいいじゃないですか、それが普段着。

普段着着物を着る事に躊躇や迷いがある方は、
【普段着だから】という免罪符を活用すればいいんじゃないでしょうか。


つまり、最初に戻るんですけど結論としては「普段着だから着たいものを着ればいい」
個人的に普段から色んな方に着物を着てもらいたい想いがありますので、
チャンスがあればドンドン着てもらいたいです。

みんな全ての季節の着物を持っている訳じゃないです。
手持ちの着物が少なかったらしょうがないけど浴衣着ましょう。
さすがに浴衣じゃ寒いならちょっと早いけど袷でもいいじゃないですか。
着物を着たいっ!ってチャレンジする気持ちを汲み取りたいと思ってます。








あなただけの今日のコーディネイトがあればいいね。






着物業界大魔王


【完全妄想小説】

西暦20××年 着物業界は悪者という声があがる。


ルール、価格、デザイン、しきたり、世間体、etc…ユーザーの不具合の全てが着物業界の仕組んだ罠。
そうだ、着物業界が着物の邪魔をしている。全て着物を愛する者にとって着物業界は悪。そんな声が世界に満ち満ちていた。小さな田舎の着物屋である私は思う、着物はもっと自由なものだ、楽しいものだ、美しいものだ、奥深く、伝統があるものだ。だからそのすばらしさを世界に広めようと。しかし、私とて着物業界の一部。



ならば!と私は思う、着物業界が悪ならば、着物業界の私が真の悪者となろうと!
私が業界の業(ごう)をすべて背負うと!!


そうだ私は着物業界大魔王!!!!


そして私は高らかに宣言する。
私が悪の親玉。私が諸悪の権化。私が着物売って飯食ってる悪人。
ユーザの不具合の全ては着物業界大魔王、つまり私が仕組んだ罠だと!!!


そして、
着物を愛する人たちが一斉に立ち上がる。
着物業界大魔王である私を倒す為に、着物を愛する人の希望を一つにまとめる人物が現れる。
着物を愛し、自由を愛し、伝統を愛し、着物を最も楽しむもの。それが着物勇者。


季節ルール。
伝統。
TPO。
着物の格。
生産者。
デザイン。
価格。
古着。
などなど



着物業界大魔王と着物勇者の戦いは永くに及んだ。

私と勇者の主張は、
まるでコインのように表裏一体だった。
すべての主張には反論できる材料があった。

長い歴史をつむぎ、多くの人が愛し、続いてきた着物には、
それだけ奥深さがあった、懐の広さがあった、誰も悲しまなくてもよかった。


私にはそれが救いだった。ああ着物が好きでよかったとさえ思った。



しかし私は分かってた、私は打倒されるべきなのだと。
なぜならば私は着物業界大魔王。
魔王は滅び勇者が勝たねばならぬのだ。
私が、私の骸が、この業界に、この世界には必要なのだと。



そして私は着物勇者に討伐される。


着物業界大魔王である私を打倒した着物勇者は全世界に和装を広げていく。
無限の可能性を持つ和装が各国の伝統的な衣類を取りこみ、さらに進化し全世界に広がっていく。

もう着物ユーザーはなにも恐れる事はない。
なにしろ和装、着物を楽しむことを邪魔する悪の権化、着物業界大魔王はすでに居ないのだ。

着物を愛し
自由を愛し
伝統を愛し
分け隔てなく着物を楽しむ事が出来る世界。


私の野望はまさしくこれだった。
その確かな蕾を見ながら私は朽ちていく。たった一反残った絣の反物とともに…。



*この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。*



ここまで妄想した。



たまにはブログもいいなと思ったり思わなかったり。

twitterやFBなどのSNSをやっているとどうしても、
ブログをほったらかしにするという話をよく聞きます。
よく考えると「あぁ私もブログほったらかしにしていたなぁ」
という事でtwitterからの自動投稿を切って、久しぶりにブログをかいてみようかなと思った次第です。


ほんとに久しぶりです。設定とか書き方とかほぼ真っ白になってます。

やっぱりtwitterみたいに140字制限だとうまく伝えられない事もあるし、
発言も埋もれてしまうし、勢いでつぶやいたりする事が多くなってし、
ログが流れてしまうので備忘録とか、読み返して考えたい事とか、スルーしがちになって思考整理の限界を感じて、ブログかなにかで一日をまとめると言う事をした方がいいよね。


それにしても昔は「ブログ毎日更新!」とか「アクセス解析つけて一日300人以上だっ!!」
とか思ってたモチベーションはどこにいったんだろね。もう10年近く前だよ、さらにHTML打ち込んでHP作ってたのって13〜4年前になるって事か、うわっ!そりゃオッサンになるわけだよ。

よく考えたら私がはじめた頃のネットってもっとグダグダでどうでもいい事を垂れ流す場所じゃなかったのかな。ここ5〜6年前からネットが一般普及して色んな思考思想の人が、アレしちゃダメです。こんな発言しちゃダメです。って事が多くなったと思う。今の仕事に就いてネットで遊ぶって事をしなくなったので余計にネットが真面目な場になったイメージが強いです。

つらつらと思い返せば、昔からネットの海にどうでもいい事を投棄し続けていたんだな私。
これから暇があれば、誰の為にもならなくても、どうでもいい事でも、垂れ流してみよう。


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